意志 現推
熊谷次郎直実、「平家の公達の助け船に乗らんとて、汀の方へや落ち給ふ事もやおはすらん。
→―は 「平家の御子弟が助け船に乗ろうとして、波打ち際の方へ敗走なさっているだろう
―したい 存在
あっぱれ、よかろう大将軍に組まばや」とて、磯の方へ歩まする所に、武者ただ一騎、沖なる船に目をかけ、
→ああ、身分の高い代将軍と組みたいものだ」と思って磯の方へ馬を歩かせているところに、武士が一人沖にある船をめがけて
継続
海へざつとうち入り、五六段ばかりぞ泳がせたるを、熊谷、「あれは大将軍とこそ見参らせ候へ。
→海に馬を乗り入れて、 五六段ばかり泳がせているのを、 熊谷、「そこにいられるのは大将軍とお見受け申します
尊敬
正なうも敵に後ろを見せさせ給ふものかな。返させ給へ」と、扇を上げて招きければ、招かれて
→見苦しくも敵に背中をお見せになさるものですな。お戻りなさいませ。」と扇を上げて招いたところ、武者が招かれて
現推
取つて返す。みぎはに打ち上がらんとし給ふ所に、押し並べて、むずと組んで、どうど落ち、取つて押さへて
→引き返す。波打ち際に武者が打ちあがろうとするところに直実は馬を並べて取っ組み合い、馬から落ちて武者を取り押さえて
断定
首をかかんとかぶとを押しあふのけて見ければ、年十六、七ばかりなるが、薄化粧してかね黒なり。
→首を切ろうとかぶとを押し上げて顔を見てみると、十六・七歳ぐらいの若武者が薄化粧して歯を黒く染めている
年齢
当然
我が子の小次郎のよはひほどにて、容顔まことに美麗なりければ、いづくに刀を立つべしとも覚えず。
→自分の息子の小次郎の年ぐらいで、容ぼうがとても美麗だったので、どこに刀を立てたらよいのかもわからない。
尊敬・推量
「そもそもいかなる人にてましまし候ふぞ。名乗らせ給へ。助け参らせん」と申せば、「なんぢはたそ。」
→「あなたはどのような人でいらっしゃいますか。お名乗り下さい。お助けいたしましょう。」と申し上げると
打消
と問ひたまふ。「物その者では候はねども、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実」と名乗り申す。「さては、
→とお尋ねる。「大した者ではございませが、武蔵に住んでいる、熊谷次郎直実と申します。」と名乗り申し上げた「それでは、
打消
なんぢにあうては名乗るまじいぞ。なんぢがためには、よい敵ぞ。名乗らずとも、首をとつて人に問へ。
→お前に向かっては名乗る必要もない。お前のためには良い敵である。名乗らなくても首をとって人に聞け。
過去
見知らうずるぞ。」とぞのたまひける。熊谷、「あつぱれ大将軍や。この人一人討ちたてまつたりとも、
→見知っているだろうよ。」と若武者はおっしゃった。熊谷は「ああ、大将軍なのだな。あなたを打ち上げたとしても
当然
打推 当然
打推
負くべき戦に勝つ事もよもあらじ。また討ち奉らずとも、勝つべき戦に負くることもよもあらじ。
→敵が負けるに違いない戦に勝てるわけもない。またあなたを打ち申し上げたとしても、味方が勝つに違いない戦に負けはずもない
疑問
小次郎が薄手負うたるをだにも、直実は心苦しうこそ思ふに、この殿の父、討たれと聞いて、いかばかりか
→小次郎が軽傷を負っているのさえ、親である私はつらく思っているのに、ましてあなたの父上が、打ち取られてしまったと聞いてどれほど
現推・推量 ―したい
嘆きたまはんずらん。あはれ、助けてまつらばや」と思ひて、後ろをきつと見ければ、土肥、梶原五十騎
→お嘆きなさることだろうか。お助け申し上げたい。」と思って、後方をさっとみたところ、 土肥・梶原五十騎、
存続 尊敬・推量
ばかりで続いたり。熊谷、涙を抑へて申しけるは、「助けまゐらせんとは存じ候へども、味方の軍兵、
→五十騎ばかり続いていた。熊谷、涙を抑えて申し上げたのは「助け申し上げようとは存じますが、味方の群が
比況 尊敬 打推 尊敬・推量
雲霞のごとくに候ふ。よも逃れさせたまはじ。人手にかけまゐらせんより同じくは、直実が手にかけ
→雲霞のようにおります。決してお逃げになれないでしょう。他の者の手にかけ申すようなことになるより同じことならば直実の
強意 意志 過去
奉て、後の御孝養をこそつかまつり候はめ」と申しければ、「ただ、とくとく首をとれ」とぞ宣ひける。
→手にかけさせて、構成を祈るご供養をして差し上げましょう」と申すと「早く首を取れ」とおっしゃった。
当然
熊谷あまりにいとほしくて、いづくに刀を立つべしともおぼえず、目もくれ、心も消え果てて、
→熊谷はあまりにかわいそうで、どこに刀を立てたらよいかも分からず、 目もくらみ、分別心も消え果て
過去 打消 完了・・過去
前後不覚に覚えけれども、さてしもあるべきことならねば、泣く泣く首をぞかいてんげる。
→前後不覚のように思われたが、そうしてばかりいられることでもないので、意に反して首を切ってしまった
打消 推量
「あはれ弓矢とる身ほど口惜しかりける事はなし。武芸の家に生まれずは、何とてかかる憂き目をば見るべき。
→ああ、弓矢を取る武士ほど実に情けないものはない。もし武芸の家に生れなければ、どうしてこのようなつらい目にあうことがあるだろうか
存続
情けなうも討ちたてまつるものかな」とかきくどき、袖を顔に押し当てて、さめざめとぞ泣きゐたる。
→情けなくも打ち申し上げたものだな。」と恨み言をくどくど言い、袖を顔に当てて、さめざめと泣き続けていた。
意志 過去 尊敬・存続
首をつつまんとしけるに、錦の袋に入れたりける笛をぞ腰にさされたる。
→首を包もうとしたところ、錦の袋に入れた笛を腰に差していらっしゃった
現推 打推
「当時味方に東国の勢、何万騎かあるらめども、戦の陣へ笛持つ人はよもあらじ。上﨟は、なほも
→今、味方に東国の軍勢が何万幾何あるだろうが、決して戦に笛を持って行く人はいないだろう。上流の人はやはり
詠嘆 ・過去 打消
優しかりけり」とて、九郎御曹司の見参に入れたりければ、これを見る人、涙を流さずといふことなし。
→風流であるな。」と言ってこれを九郎の御曹司義経のお目に入れたところ、これを見る人は涙を流さないことはない
断定 尊敬・過去
後に聞けば、修理大夫経盛の子息に、大夫敦盛とて、生年十七にぞなられける。
→後で聞くと、修理大夫の御子孫である、大夫敦盛といって、十七歳になっていらっしゃった
過去
それよりしてこそ、熊谷が発心の思いは進みけり。
→まさにその時から、熊谷は出家して仏道修行しようという思いは募った